旧東海道

2008年5月27日 (火)

旧東海道徒歩紀行(34)

21回 平成10321日(祝) 四日市~石薬師~庄野~亀山~関

 この日は近鉄追分駅前を10:24に出発しました。しばらくは本当に「旧道らしい」旧道になっていきます。お伊勢参りに行く旅人が多かったでしょうから、ここからは旅人も少なかったんでしょうね。とてもローカルな雰囲気です。内部川を渡って杖突坂になります。あまり印象に残っていないと言うことはそれほど苦にならなかったんでしょうね。まだ歩き始めたばかりだし。でもしっかり杖突坂の碑が写真に収められていました。かなりの急坂に写真には写っています。

 それから国道1号線と合流したり離れたりして44番目の宿場町、石薬師宿に入っていきます。今までの宿場の中でも寂しい感じがする石薬師宿は国道と並行している旧道にあるけど、少し高台になっています。少し民家が並んでいます。一応宿場町らしい雰囲気は残っていますね。

 宿をはずれ、国道の上を通り過ぎるとすぐに「石薬師寺」があります。ここに11:50に到着しました。安藤広重の石薬師宿はこの石薬師寺が描かれています。しばしここで休憩します。

 JR関西本線と交差する手前に「史跡 石薬師の一里塚址」の碑があります。でも塚とかは残っていないので一里塚の雰囲気はありませんでした。そこから川沿いの土手道・・・と言っても国道1号線を歩くことになります。交通量も激しく旧街道の雰囲気はありません。しばらく国道を歩いて旧東海道は右に折れます。すると45番目の宿場町、庄野宿となります。国道から外れているせいか、旧東海道の雰囲気を色濃く残しています。庄野宿本陣跡の碑が建っていました。ここで12:33でした。石薬師宿と庄野宿は25丁しか離れていないのであっという間に着いてしまった印象が残っています。このあたりの道幅はいかにも旧道らしく残っています。ちょっと感動したのを覚えていますね。庄野の宿場を出てまたのどかな風景の旧道を歩いて行きます。まだ昼食を食べていなかったので、JR井田川駅近くの「彦兵衛」というおそば屋さんに入ります。ここに到着したのが13:20でした。そこでは「ざるかもセットそば」を食べました。この値段は記録に残っていないので分かりません。その店を14:01に出て再び歩き始めます。亀山までずっと旧道です。印象は薄いけど亀山が近くなるにつれて民家が多くなってきたのを覚えています。そして46番目の宿場町、亀山宿に入っていきます。

 亀山の旧道は少し分かりにくいですね。やはりここも城下町なので旧道が少々曲がっています。地図どおり歩けたかどうかちょっと不安です。亀山と言うと「ローソク」が有名ですよね。この工場は確認することができました。そして京側の宿場の出口である「京口門跡」は説明板があり、とりあえず入口と出口は確認できたから良しとしましょう。

 坂を下っていき、旧道を歩いて行きます。すると「野村一里塚」が堂々と残っていました。参考にしている本によれば、この一里塚は「椋の木」で樹齢300年を超えるものだそうです。椋の木を植えた一里塚は全国でこの一里塚だけだそうです。もう片方の一里塚は失われているけど、こちらは榎の木だったそうです。そこを過ぎて国道とJR関西本線を過ぎると鈴鹿川沿いの土手道。これが旧東海道です。

 土手道から離れ、国道と一旦合流してすぐにその反対側に旧道が繋がります。その国道と別れてすぐのところに「関の小萬のもたれ松」があり小さな松と説明板があります。

ここは「関の宿にゆかりの小萬が、仇討ち修行のため亀山へ通う途中、たわむれかかる若者を避けるために、この松に隠れた・・・」との伝説の松だそうです。

 そこからすぐに47番目の宿場町、関宿に入ります。入ってすぐの場所に「伊勢街道」との分岐を示す碑が建っています。日永の追分からの伊勢街道と関宿の追分からの伊勢街道、2つあったのですね。京から下ってくれば関宿の追分からお伊勢参りに向かう旅人が多かったのではないでしょうか。

 関宿は見事に江戸時代の宿場町の雰囲気を残している街並みです。行政が積極的に街並み保存に取り組んだのでしょうね。本当に江戸時代にタイムスリップしたような感じにさせてくれます。いつまでもこのような街並みを保存していって欲しいですね。

 というわけで関宿でこの日の終点にします。16:05でした。JRの距離にして四日市~関間は28.4km、所要時間は5時間41分でした。

 関宿から先はまだ歩いていません。残りは関~坂下~土山~水口~石部~草津~大津~京都です。これからいつ歩くかは分かりませんが、いずれ実行して旧東海道を完歩したいと思っています。歩いた都度この続きは書いていきますのでその時まで待っていてくださいね。

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2008年5月24日 (土)

旧東海道徒歩紀行(33)

◎第20回 1997年12月20日(水) (弥富(七里の渡し))~桑名~四日市

 前回海上(?)の弥富で終点としたので、今回はそこからのスタートになります。出発は弥富駅前を9:51にスタートとなりました。この日も良い天気です。まず木曽川に架かる「尾張大橋」を渡ります。続いて長良川と揖斐川に架かる「伊勢大橋」を渡ります。伊勢大橋から下流に巨大な「長良川河口堰」が良く見えます。どのくらい巨大な費用が掛かったのでしょうね。

 伊勢大橋を渡りきると1048でした。それから揖斐川沿いに下流の方に進み、桑名側の「七里の渡し跡」に到着しました。ここでようやく舟で(?)熱田から桑名に渡ったことになります。ひたすら長かったけれど自分の足でこの七里を繋いだ価値は大きいと思います。

 旧東海道に復活したこの旅は42番目の宿場町、桑名宿へと入って行きます。桑名も城下町、歩き始めてすぐのところに桑名城城壁の案内板がありました。やはり桑名も他の城下町と同様、街道が何回か曲がっています。桑名と言うと焼き蛤が有名ですね。でも私たちはそのような名物は食べませんでした。というか焼き蛤が食べることのできるお店が分からなかったですね。ある本によれば焼き蛤より江戸時代当時は佃煮の方が有名だったようです。

 桑名宿を過ぎると淡々と旧道を歩いて行きます。住宅や商店の立ち並ぶ道をひたすら淡々に。町屋川に架かる橋の手前に常夜灯がありました。橋を渡り暫く歩くと近鉄線の伊勢朝日駅の横を渡ります。それからも住宅街の旧街道を歩き続け、そろそろ昼食をということで三岐鉄道のガードをくぐる前に「悟空」という中華料理店を見つけ、そこで昼食に。ランチを食べて590円でした。ここに滞在していた時刻は12:5513:20。その店を出るとおばさんたちに「東海道を歩いているんだね」と声を掛けられます。このように声を掛けられることは今まであまりありませんでしたね。富田の街を通り抜け、のどかな旧道になります。そして久しぶりに国道と合流します。でも合流したのは海蔵川を渡るまででそれほど長くはありませんでした。

 橋を渡ると再び住宅が密集した旧道に。そして立派な三滝橋をわたるといよいよ43番目の宿場町、四日市宿に入って行きます。橋を渡ってすぐのところに「日永の永餅」で有名な笹井屋という和菓子店があります。ここで14:30でした。そもそもはこの店は伊勢街道との分岐点の日永の追分にあったお店だそうだけど、鉄道開通後にここに移転したとのことでした。こういうものは食べてみたかったですね。

 賑やかな近鉄四日市駅前を通り過ぎ、賑やかなアーケードの中を歩きました。アーケードが旧東海道だったのはここが初めてだと思います。それからは住宅街でもある近鉄内部線沿いの道を歩きます。私は近くに鉄道があるとかなり前のことでも印象に残っているんですね。

 そのまま近鉄内部線沿いの旧道を歩くと日永の追分があります。ここの部分だけ国道1号線と合流します。そのまま真っ直ぐ国道を行けば伊勢街道、右の道を行けば東海道と言った交通の要衝だったんですね。今でも交通量が激しいところです。その分岐地点には「右京大坂道」の碑が建っています。

 その追分を通り過ぎ、近鉄追分駅でこの日の終点にしました。15:32の到着です。近鉄線の距離にして弥富~追分間が25.1km、所要時間は5時間41分でした。(第21回へ続く)

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2008年5月13日 (火)

旧東海道徒歩紀行(32)

◎第19回 1997年11月19日(水) 鳴海~宮~(弥富(七里の渡し))

 いよいよ名古屋市に入ってきましたね。今回は前回の終了地点である鳴海駅前を10:00に出発します。旧道が続いていきます。周りは住宅街です。さすがは大都市名古屋です。天白川を渡り、笠寺に入ります。そこには一里塚が片方だけ残されていました。それからまた暫く歩くと笠寺観音がありました。正確には天林山笠覆寺と言うそうです。かなり大きなお寺です。笠寺の地名の由来になっているお寺です。この寺の本尊の十一面観音が笠をかぶっているところから来ています。ちょっとだけここで休憩しました。だいぶ住宅が密集してきました。それでも旧道です。名鉄の線路を越えてゴミゴミした住宅街や商店街の間を歩いて行きます。

いよいよ41番目の宿場町である宮宿です。「宮」は言うまでもなく熱田神宮を指しています。その熱田神宮の正面を左に曲がると海に出ます。ここから桑名までの7里は「七里の渡し」と言って舟渡しとなります。そこには熱田湊の常夜灯がありました。寛永2年(1625)に創建され、18世紀に再建されたものだとのことです。ここで11:31でした。

 さて、我々は現在は舟渡しも当然無く、海の上を歩いていくわけにも行かないので、国道を通って桑名宿を目指すことにしました。でもその前にせっかくだから熱田神宮に寄っていきます。かなり広い敷地で本殿に行くまでに疲れてしまいそうです。でも旅の無事を祈願して出発。海の上を航海しているつもりで国道をひたすら歩きます。交通量は激しく、面白くも何ともない道だけど仕方がありません。新幹線と交差した付近の食堂「秀の家」で昼食にします。今回は私はみそにこみセット(820円)を食べました。名古屋と言うとみそを使った料理が多いですね。八丁味噌なんですかね。12:55にこの食堂を出てからはひたすら国道を西進します。ずっとずっとね。街道でも何でもないからひたすら歩くのみです。庄内川を渡り、次第に田畑が増えてきます。近鉄の線路とほぼ並行しています。そして15:38に弥富駅前に到着し、この日の終点としました。海上で終点とは何となくキリが悪いけどね。仕方なしですね。ちなみにこのJR弥富駅は全国のJR線で地上にあって海抜が一番低い駅なんですね。0mより低いんです。この辺りは以前は海だったのかなあ。名鉄鳴海~名古屋、近鉄名古屋~弥富間の距離で29.0km、所要時間は5時間38分でした。(第20回へ続く)

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2008年5月 3日 (土)

旧東海道徒歩紀行(31)

◎第18回 1997年10月10日(祝) 岡崎~知立~鳴海

 今回は名鉄線の岡崎公園前駅で下車して、岡崎城の西側を9:33にスタートです。すぐに矢作川に出ます。矢作川には江戸時代にも橋は架けられていたとのことだけど、今の国道の矢作橋より下流約100mのところにあったとのことです。矢作橋は豊臣秀吉が少年時代この橋に寝ていて野武士の蜂須賀小六と出会った話が有名とのことでした。

 さて私たちはひたすら旧道を歩きます。のんびりのどかな風景のところです。途中に来迎寺一里塚が残っていました。一里塚は道の両側にあるのだけど、ここは南側の片方だけ。でも残されているだけでも雰囲気が違いますね。そこからは集落が少し続き、それが途切れた辺りから今度は松並木が国道と交差する場所まで続きます。国道と交差する手前に「馬市之趾」と彫った石碑がありました。この辺りは旧東海道として良く整備されています。安藤広重の「池鯉鮒」はこの辺りの風景を描いています。

 国道と交差し、しばらく歩いて行くと商店街に入って行きます。この辺りが知立宿。江戸時代には「池鯉鮒」と書くことが多かったそうです。商店街を越えて国道に吸収されます。しばらくしてまた左手に旧道が分かれます。そろそろお昼の時間です。再び国道と交差する場所に「岡本屋」という食堂を見つけ入ります。そこでは「黒豚みそとんかつ定食(700円)」を食べました。やはり愛知県はみそかつが有名だからねえ。味のほうは・・・記憶にないということは可もなく不可もなくと言ったところでしょうか。

 境川を渡る前後は旧道だけど、再び国道に出て名鉄豊明駅前を13:10に通り過ぎてすぐに左手に旧道は分かれます。すると阿野一里塚がありました。これも片方だけ。ここで20分ほど休憩にします。

 それからも淡々と歩き続けて国道に出ると名鉄中京競馬場前駅の前に来ます。その辺りはとても交通量の激しい場所でした。その駅前に近いところに有名な「桶挟間古戦場」があり公園になっています。今川家が織田信長に滅ぼされた場所ですね。歴史的に有名な場所へ来ると感慨深いものがあります。

 今度は旧道が国道から右に分かれます。先へ進むと有松。有松絞で有名な場所です。旧街道の雰囲気が色濃く残っていて、観光客もチラホラと見受けられます。宿場町ではないのにこれだけ街並みが保存されているのは嬉しいものですね。

 それからしばらく旧道を歩くと鳴海宿。ここも鳴海絞が有名です。街並みも有松ほどではないにしろ旧街道の名残があります。そして鳴海駅前でこの回の終了地点としました。15:05でした。今回はそれ程疲れませんでした。気候が良くなったからでしょうか。

 岡崎公園前~鳴海まで名鉄線で24.0km、所要時間は5時間32分でした。なかなか長い距離を歩いたものでしたね。(第19回へつづく)

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2008年4月22日 (火)

旧東海道徒歩紀行(30)

◎第17回 1997年8月30日(土) 赤坂~藤川~岡崎

 前回バテてしまった赤坂宿と藤川宿の間である名鉄の長沢駅で下車し、この地点からスタートです。出発は9:55です。しばらくはずっと同じようなのどかな旧道を歩きます。途中国道に吸収されたり離されたりしながら・・・・。そして国道に吸収された旧東海道が再び左手の旧道に入ると藤川宿の入り口を示す「東棒鼻」の標柱が立っていました。これは復元されたものだそうです。安藤広重の「藤川」にもこの場所が描かれています。この付近は田んぼの中でのどかな細い道だけど、すぐに古い家並みが残る藤川宿の中心地へ。この辺りで11:20でした。その古い家並みが過ぎると藤川宿の出口。そこに十王堂がありました。ここに芭蕉句碑があります。「爰(ここ)も三河むらさき麥(むぎ)のかきつばた」と記されています。この句碑は寛政5年(1793)に建立されたものだそうです。この十王堂を過ぎて名鉄の線路を越えると国道に出るまで見事な松並木が続きます。国道に吸収されてまたすぐに左手に入って旧道になりました。

 そろそろ正午になったので昼食をと「レストラン岡崎」というドライブイン風の店に入ります。そこで天ぷらセット(700円)を食べて昼食にします。そして再び歩き始めて山綱川を渡る手前に「天然記念物 岡崎源氏蛍発生地」の説明板がありました。

 山綱川の橋を渡った後も旧道で、国道を渡ると「太平の一里塚」があります。道の片側だけ塚があって残されています。岡崎I.C.を過ぎるといよいよ岡崎へ入っていきます。岡崎の旧東海道は「二十七曲」と言われていて、ほぼ直角に曲がる箇所が27あるとのことです。地図を参考に住宅地の中を辿っていくけど今ひとつはっきりしない部分もあり、我々が歩いたところが旧東海道であったかどうかは疑問です。でもほぼその通りに歩けたのではなかろうかと思っています。城下町特有の曲がった道ですよね。

 岡崎と言えば何と言っても岡崎城。ここで今回は終了とします。14:20の到着でした。折角だから岡崎城に立ち寄り、売店でかき氷を買って食べました。暑い中歩いた後のかき氷は美味しいものですよね。この日は名鉄線の距離で名電長沢~岡崎公園前間が16.1km、所要時間は4時間25分でした。(第18回へつづく)

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2008年4月18日 (金)

旧東海道徒歩紀行(29)

◎第16回 1997年7月21日(休) 二川~吉田~御油~赤坂

 この日は二川駅前を9:15に出発しました。前回二川宿本陣資料館などは見学しているので、そのまま吉田宿(現在の豊橋市)方面に向かいます。岩屋観音の北側の火打坂を上って下りると平坦な道になります。そして旧道は国道1号線に吸収されます。歩いていくうちに次第に交通量が激しくなってきて、豊橋市の中心街に入ってくると34番目の宿場町である吉田宿です。吉田は城下町で中心地はやはり何回か道が曲がっています。吉田から豊橋に名前が変わったのは明治2年のことだそうです。古い住宅地を直角に曲がりながら通って行くと豊川の橋を渡ります。これが「豊橋」。実際はこの橋より下流70mのところに「吉田大橋」が当時は架かっていたそうだけど、現在は国道に架かる橋を「吉田大橋」と呼んでいるとのことで残念です。

 普通の道路である豊橋を渡ると、古い住宅が続いている旧道になります。しばらく平坦な道が続きます。国道と並行して旧道があるけど吸収されることはありません。だんだんとのどかな風景になってきて、田畑が続く退屈な道になりました。この日はとても暑くて汗が吹き出してきます。正午を過ぎたのでそろそろお昼をと「清美屋」という食堂に入って冷し中華(600円)を食べました。

 12:35にその食堂を出発し、歩き始めます。また沿道は田畑が続く退屈な道。ひたすら歩き続けます。途中で国道と交差するけどその先は通行不能で仕方なく国道を歩くことに。そして再び旧道に入って35番目の宿場町、御油宿となります。御油は秋葉山道との分岐があり、「秋葉道追分」の常夜灯があります。御油に到着したのが13:30。古い家並みが続き、江戸時代の面影が何となく残っています。家並みが途切れると天然記念物である「御油の松並木」になります。見事に松並木が残されていて気持ちがいいものです。暑い中、日陰もできるしね。ちょっとホッとします。私はと言うと前日たぬきと飲みすぎて午前様だったのでもうバテる寸前です。Iさんは元気一杯で歩いているけど追いつくのがやっとの状態です。

 御油の松並木を抜けると今度は36番目の宿場町、赤坂宿です。御油宿からわずか16丁、20分で着いてしまいました。何で一つの宿場町にならなかったのか不思議なくらい近い距離でした。

 ここまで来ると、私はもう完全にバテています。足が動きません。ちょっと脱水状態気味です。本当はこの先の藤川宿まで行く予定だったんだけど、もう限界。Iさんのほうからストップを掛けてくれました。何とも情けないことです。歩く前日は節制しないといけませんね。旧道と並行している名鉄の長沢駅のところでこの日は終了。14:25でした。二川~長沢間は鉄道の距離で21.9km、所要時間は5時間10分でした。Iさんに申し訳ないことをしてしまいましたね。(第17回につづく)

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2008年3月25日 (火)

旧東海道徒歩紀行(28)

◎第15回 1997年5月31日(土) 浜松~舞坂~新居~白須賀~二川 その2

 さて、浜名湖畔でコンビニ弁当を食べた後に浜名湖の橋を渡るとJR新居町駅前に出ます。そこからさらに西へ進むと新居関所跡へ到着しました。江戸時代当時は渡し舟はこの辺りまで来ていたようです。ここでしばし休憩。箱根に並ぶ厳しい関所で女性の旅人には特に厳しかったようです。ここからは旧道で、関所を出ると南へ向かいます。この辺りが新居の宿場町の中心です。国道に突き当たるけどすぐに旧道は右手に分かれます。少し高台になっていて、北側は山で南側は国道と水田が見えます。このような道が続いて、古い民家が多くなってくると右に曲がり上り坂になります。これが汐見坂です。かなりの急坂でこの坂が安藤広重の「白須賀」で描かれています。息を切らせながら上っている途中で後ろを振り返ると遠州灘の景色がきれいです。京都方面からの下りではきっと旅人はこの景色を見てホッとしたんでしょうね。

 上りきったところに学校があり、ここを通過すると32番目の宿場町である白須賀宿です。日本橋から来て現在の静岡県の最後の宿場です。ここも鉄道の無い宿場町。それだけに古い家並みが残っています。こうやって歩いている分にはこんな街の方が良いのだけど、鉄道もないこのような旧道はどんどん寂れてしまうでしょう。商店ができるにしても国道のほうへ行ってしまうしね。

 境宿という場所で長かった静岡県に別れを告げて旧道も国道に合流して愛知県に入ってきました。非常に交通量が多い国道で高台になっている沿道も畑が多かったです。次第に下り坂になってくると新幹線の高架が見えて高架下を通る手前で国道と分かれました。東海道線の踏切を渡ると二川宿の古い街並み。ここは街並み保存に力を入れていて古い味噌屋などもあります。豊橋市二川宿本陣資料館も立派に整備されていて街道の資料などが揃っていて参考になりました。古い街並みでもこのように駅から近くて交通の便が良い場所ならば人を集めやすいんでしょう。本来は日坂や白須賀のような街並みの方が価値はあると思うんだけど。

 宿場のはずれにJRの二川駅があり、ここでこの日の上がりです。ここで16:28でした。高塚~二川間はJRの距離で24.3km、所要時間は6時間28分でした。またこれから2度目の暑い夏がやってくるけど、バテないで頑張っていこう。(第16回に続く)

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2008年3月20日 (木)

旧東海道徒歩紀行(27)

◎第15回 1997年5月31日(土) 浜松~舞坂~新居~白須賀~二川 その1

 今回は前回、前々回とは打って変わり、7里17丁(29.3km)の長丁場。しかし浜松宿からとは言っても、前回浜松から5km程西に来た高塚という場所まで来てしまっているので実際は24km程度です。今回も例によって快晴です。既に15回目だけど日頃の行いが善いのか天候で日程が狂うことは今までにありません。JR高塚駅前を10:00に出発しました。

 高塚は少し前までは可美村という行政区域で、浜松市の中にポツンと存在していました。しかし今は合併して浜松市。もっとも自動車工場があったりして人口も多く、村であってもそれを感じなかったけどね。高塚駅前を出発すると旧道は右手に分かれていきます。旧道は道の両側の家並みも古いものが多く、なかなか雰囲気が出ています。馬郡という所を過ぎると松並木が見事に整備されていて歩くのが楽しい場所になります。ここに舞坂宿と出ているけど実際は国道を横切って浜名湖へぶつかるまでの間が舞坂宿。こちらの旧道は地元の商店街といった感じです。最近公開された脇本陣もあり、早速見学。できたばかりなので木の香りが良かったです。ここで11:00でした。

 さていよいよ浜名湖です。江戸時代は今切の渡しといって舟で新居まで渡っていたとのことです。しかしこの「今切」の文字が縁起が悪いとのことで浜名湖の北側を通っている本坂越えの道(姫街道)を通った旅人も多かったそうです。当然今では舟はないので北側の弁天島を通って新居へ向かいます。JR弁天島駅でトイレタイム。正午に近い時間になったので、弁天島駅近くのコンビニで弁当を買って、浜名湖畔で食べました。こう言った昼食は初めてだけど、天気も良いしなかなか気持ちが良いものです。本来なら特産である「うなぎ」でも食べれば良かったのかもしれないけどね。ここで30分程度ランチタイムにしました。(その2へつづく) 

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2008年3月 8日 (土)

旧東海道徒歩紀行(26)

◎第14回 1997年4月29日(祝) 見付~浜松 

 今回はJR磐田駅前の中泉から歩き始めます。出発時刻は10:25です。暫くは比較的狭い旧道を西に進みます。西新町から比較的広い旧道へ。この辺りは取り立てて見る場所はないけど、松並木が所々残っているので旧道の雰囲気はあります。順調に歩き続けて豊田町(現磐田市)に入ります。砂地の畑などが現れるようになってきて、天竜川に突き当たります。天竜川は舟渡しだったところだけど、現在では近くの天竜川橋を渡ることになります。ところがこの橋には歩行者専用道路がありません。すぐ隣りにも国道の橋があるけど、こちらにも歩道はありません。交通量も激しく歩いて渡るのには多少勇気が必要です。これだけの幅のある川で歩道がないのは初めてです。多摩川でも富士川でも安倍川でも大井川でも全て歩道があったのに・・・・。何とか橋を渡りきり、浜松市へ入ってきました。暫くは旧道を歩くことになります。民家が密集している場所です。安間橋の手前を右に曲がる細い道は本坂越えの道です。前回見付から分岐する道を紹介したけど、東海道から分岐するこの道は3通りのルートがあったようです。地元では見付から分岐する道が知られているようです。安間橋を渡ると比較的広い旧道になります。旧道と言っても旧国道と言った感じで道幅も広く交通量も多いです。浜松アリーナという施設でIさんはトイレタイム。出てきたところで「コカコーラ」の言葉。すっきり爽やかとのことでした。

 旧道らしさが失われた道を歩き続けて、国道に合流します。そろそろ昼食をと言った時に食堂が見当たらずに結局12:50に「吉田屋」というソバ屋に入りました。私は「相乗り」を食べました。そばとうどんが半分ずつ盛られているもので、750円でした。ここを13:30に出発して30分ほどでJR浜松駅前に出ました。浜松は城下町です。街道に近いところに浜松城があり、折角だから行ってみることにしました。浜松城は出世城として有名です。徳川家康も17年間在城していたそうです。こちらは掛川城とは違って鉄筋コンクリート造りで、天守閣も小さいものです。これで城に立ち寄ったのは小田原、掛川に続き3回目です。

 城は今まで進んできた街道を右に曲がったところにあるけど、これから進む街道はほぼ直角に左に曲がります。そのまま真っ直ぐ行けばこれも本坂越えの道です。計画だと今回は浜松までであるけどまだ14:30なのでもう少し先に進んでJR高塚駅前まで行くことにしました。賑やかな通りを南に進んでJRと交差する手前で右に曲がります。ここからJRと交差するまでの短い区間のみ旧道らしさが残る道でした。再び国道になると後はJR高塚駅前まで真っ直ぐ歩き続けるのみです。途中で松並木が残っていたのが救いでした。JR高塚駅前に15:30に到着しました。ここでこの日の終点にします。JRの距離にして磐田~高塚間が16.5km、所要時間が5時間5分でした。

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2008年3月 3日 (月)

旧東海道徒歩紀行(25)

◎第13回 1997年3月23日(日) 掛川~袋井~見付 その2

 さて、袋井の「サガミ袋井店」で昼食にして再び国道を歩き始めます。国道をかすめるようにしてまた左手に旧道は分かれていくけど、ここからが区画整理がされてしまって旧道がはっきりしないのが残念です。市役所の横から旧道が辿れるようになり、ここからが袋井宿となります。袋井市は東海道のど真ん中と言うことで街を売り込んでいます。このど真ん中とは袋井宿が日本橋から27番目の宿場であることから来ています。と言うことは、京の三条大橋からも27番目ということです。本来は山形県のお米の品種である「どまんなか」を作付けしている農家もあるくらいです。しかし、日本橋から三条大橋までの距離から言うとど真ん中はもう少し西の見付あたりになるはずだけど。

 JR袋井駅に向かう道と交差する場所に袋井宿場公園なるものがあり、休憩にはちょうど良い場所です。ここから歩いて行くと消防署の所で国道に出て、少し右手の旧道に入ります。ここに「木原古戦場跡」があるけど、実際は神社です。その昔に徳川と武田の戦場だったとのことです。国道に合流するとトンボとサッカーの街、磐田市に入ります。

 三ヶ野と言う場所から左手に分かれて旧道に入ります。三ヶ野坂があるけど、ここは旧東海道、明治の道、大正の道などがあります。旧東海道は一番の急坂でした。大久保と言う場所を過ぎ、国道を横切る場所に三本松刑場跡があります。ここは日本左衛門が処刑された場所と言うことだけど、私にはその人がどんなことをした人なのかは分かりません。

 国道から右手の旧道に入って行きます。小高い山の上に矢奈比売神社があって、地元の人には見付の天神さんと親しまれています。裸祭りが有名です。この辺りから見付の宿場に入って行きます。ここに見付小学校跡があって、明治8年に完成したと言う洋風の建築になっています。博物館になっているのでしばし中に入って見物をしました。見付の街も鉄道のない宿場町であるけど、それを感じさせない明るい街並みになっていました。西坂町で左手に直角に旧道は曲がっています。そのまま真っ直ぐ行けば本坂越えの道、即ち通称姫街道です。姫街道は東海道の裏街道で、浜名湖の北を通り御油で東海道と合流します。我々は左に曲がり、真っ直ぐ磐田駅方面へ向かいます。国道を越えると遠江国分寺跡があります。そこには寄らずに磐田駅前まで来て、旧道が右に曲がる中泉という場所でこの日の終点にしました。この時15:35でした。JRの距離で掛川~磐田間が16.6km、所要時間は4時間55分でした。Iさんは物足りなかったようだけどたまにはショートコースも良いでしょう。(第14回につづく)

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2008年2月29日 (金)

旧東海道徒歩紀行(24)

◎第13回 1997年3月23日(日) 掛川~袋井~見付 その1

 前日からの雨が残るけど、天気予報は良くなるとのことで、それを信じて電車に乗り掛川駅で下車すると雨は上がっていました。前回入れなかった掛川城を見物してから歩き始めることにしました。この掛川城も復元天守閣で、平成6年4月から一般公開された比較的新しいものです。しかし、立派なのは復元天守閣にしては珍しく木造建築で、他のように鉄筋コンクリート造りとはわけが違います。

 一通り見学して、城の隣りの御殿も中を見物して、10:40から歩き始めました。アーケードの旧道から北に曲がると十九首といった変わった地名があります。これは天慶3(940)年に平将門以下19人の首を埋めた場所とのことだそうです。国道に出て二瀬川を渡る橋が「大池橋」。安藤広重の「掛川」はこの橋が描かれています。この橋を渡って右側に行く道が秋葉山への道です。東海道は左手の旧道に入り、淡々と歩いて行きます。国道を横切り原川という場所に来ると見事な松並木が残っていました。再び国道と合流して、川を渡り左手の旧道に入っていくと袋井市になります。

 袋井市に入ったところで別に変わったところはなく順調に歩き続けます。国道に出る手前の「サガミ袋井店」で昼食にしました。チェーンのうどん店なので別にこれと言った特記事項はなくて、ただ日曜日ということで混みあっていただけでした。(その2へつづく)

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2008年2月25日 (月)

旧東海道徒歩紀行(23)

◎第12回 1997年2月15日(土) 藤枝~島田~金谷~日坂~掛川 その2

 いよいよ小夜の中山に差し掛かります。金谷坂以上にこちらは急勾配です。こういった道はIさんは強いですね。すぐに私は引き離されてしまいます。息も切れます。上り16丁と言うから2km近くの坂です。ようやく上りきったところに久遠寺があり、ここには「夜泣石」があります。実はこの石は2つあり、もう一つは国道1号線の傍らにあります。本物論争があるそうだけど、安藤広重の「日坂」の絵を見ると、この石は小夜の中山を下った道上に描かれていることから私は国道にあるものの方が本物のような気がします。また、この寺の横に「扇屋」という「子育飴」を売る茶店が昔ながらに営業しています。旧東海道では有名な店でお婆さんが頑張っています。

 坂を下って国道を横切り、再び旧道に入ると東海道25番目の宿場町である日坂宿です。この日坂は現在でも鉄道は無く、静かなたたずまいを残しています。最近は街並み保存にも力を入れ始めていて、旧家に屋号の看板を掲げて雰囲気を出しています。スタンプ等も置いてありました。街並みが途切れると再び国道に出ます。ここからは暫く国道を歩くことになります。今までで最も長い距離を歩いていて、しかも金谷坂、小夜の中山と2つの急坂を越えているので疲労はしているけど、惰性で歩いているような感じです。西山口という場所から旧道は国道から左に分かれて、いよいよ26番目の宿場町であるか掛川の中心地へ近づいてきました。

 掛川は城下町で、道が何回か折れています。このような道は敵が一気に侵入してくるのを防ぐために作られているそうです。沼津や府中でも同じような道を見ることができるけど、掛川は短い距離で8回ほど曲がっています。そして寂れたアーケード街になり、掛川駅前でこの日の終点にしました。16:05でした。Iさんが掛川城へ行ってみようと言うので、そこから歩いて5分くらいの場所にある城へ行ってみました。しかし城は既に閉まっていて、入城できませんでした。また次回にでも行ってみようということでこの日は終了しました。ちなみにJR東海道本線の藤枝~掛川間が29.0km、所要時間は6時間15分でした。(第13回に続く)

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2008年2月22日 (金)

旧東海道徒歩紀行(22)

◎第12回 1997年2月15日(土) 藤枝~島田~金谷~日坂~掛川 その1

 今回も快晴の絶好の散歩日和です。前回の終了地点である藤枝市の青木交差点を9:50に出発しました。国道とJR東海道本線の間の旧道を西進していきます。松並木が残る旧道を進んで一里山という場所で国道に出ました。

 交通量が多い国道を出ると島田市。道悦島から島田工高の方へ旧道は少しの間だけ右手に分かれます。再び国道と合流して今度は御仮屋という場所で左手に入っていきます。ここから島田の中心街になります。アーケードの商店街になるけど、人通りは差ほどではありません。閉店してしまっている商店も多いです。交通が便利になるにつれて、買い物客は静岡などに流れてしまっているのであろう。スーパーの大手であるジャスコでトイレタイム。ここで11:30でした。この辺りがJR島田駅に最も近い場所です。再び歩き始めて大井神社の前を通過し、大井川に近くなってくると古い町並みが保存されています。「越すに越されぬ大井川」の象徴である「川会所」があります。渡しの時に使う蓮台などが保存されています。以前小学校の社会見学で訪れたことがあるので、今回はパス。他にも旧家などの見学が何軒かできるようになっています。大井川の土手に突き当たる手前に「朝顔の松」があります。浄瑠璃や芝居でおなじみの朝顔日記によるものだそうだけど、そのお話を知らないので私にとってはただの松でした。一応説明板などで物語のあらすじは分かったけれど・・・。

 さて、我々は大井川を昔ながらに越すことはできないので国道の橋を渡ることになります。これが案外長いのです。橋を渡るだけでも難所だったのが伺えます。橋を越えれば金谷の街です。島田宿も金谷宿も大井川が増水したときなど川留めになればかなり賑わったとのことだそうです。橋や渡し舟を置かなかったのは地域振興のためだったとの説もあるようです。ただこの川があるために旅の日程が狂いやすく、それを避けて中山道を行き来する旅人も多かったのだそうです。

 金谷の街も古い家並みが残っています。古い街並みから比較的新しい街を通り過ぎて坂道を登るとJR金谷駅です。この駅の手前の「富士見屋」という食堂で例によっての遅い昼食とします。私はカツ丼(700円)を食べます。Iさんはおでん定食を食べていました。13:10頃店を出て、これから難所だった金谷坂・小夜の中山へ向かっていきます。JRのガードをくぐると長光寺があって、そこから坂道を登り、県道を渡ると「金谷坂」という石畳の急坂となります。しかしこの石畳は箱根のものとは違い、最近整備し直したものです。石も新しいものです。坂を上りきって下っていくと、舗装道路になります。しかし、良く見ると石畳の上にコンクリートを塗って慣らしたものです。所々に石のボコボコがあります。生活道路として利用しているのでしょうが、何とももったいないものです。下り切ると菊川という集落になります。金谷町(現島田市)の隣りに「菊川町(現菊川市)」はあるけど、こちらは金谷町の菊川です。立場だったところで、そのことを示す看板などがあります。そしていよいよ小夜の中山に差し掛かります。(その2へつづく)

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2008年2月20日 (水)

旧東海道徒歩紀行(21)

◎第11回 1997年1月18日(土) 府中~丸子~岡部~藤枝 その2

 丸子の「丁子屋」で昼食を食べて、ここから宇津ノ谷へ向かいます。国道に寄り添うようにして旧道が続きます。近い将来国道が拡張されるので(もう拡張されているけど)この旧道も消えるでしょう。国道の宇津ノ谷トンネルの横からいよいよ上り坂になります。しばらく上ると宇津ノ谷の集落があります。ここから峠に向かうわけだけど、この道は豊臣秀吉が小田原攻めの際、大軍を通すために造った道だそうです。それ以前は「蔦の細道」と呼ばれる千年以上前に開かれた道を使っていたそうです。こちらの道は今でも通行可能で、伊勢物語でも知られている道です。上り道となるとIさんはとてつもなく速いんです(それとも私が遅いのか)。

 峠道を下ると若干の復元石畳があります。そしてトンネルを出てきた国道と合流し、岡部の宿に入っていきます。岡部は鉄道の無い宿場町。旧道が国道に吸収されずに古い街並みが良く残っています。しかしこの道もすぐに終わってしまい、再び国道へ。この国道は交通量が多いものの松並木はきれいでした。

 バイパスの入り口からは平凡な旧道です。かなり疲れてきたので長く感じます。そして今度は22番目の宿場町である藤枝です。藤枝宿は鉄道の駅から離れています。以前はかなり賑わった商店街だったのが、かなり寂れてきているのがよくわかりました。それでも40年ほど前までは軽便鉄道で藤枝駅と繋がっていたのだけど・・・・・。青木の交差点でこの日の終了地点にします。そして藤枝駅に向かいました。今回は距離が長かったこと、そして風が強く向かい風だったこともあって疲労はいつにも増して多かった気がします。天気が良かったことだけが救いでした。(第12回へつづく)

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2008年2月18日 (月)

旧東海道徒歩紀行(20)

◎第11回 1997年1月18日(土) 府中~丸子~岡部~藤枝 その1

 この日の集合時間は静岡駅に8:30。地元から歩き始めるのだからもっと遅い時間でも良かったのだけど、Iさんが遅い時間に自宅を出ると近所の人に「またこの家のご主人は遊びに行った」と言われるとかでこの時間になりました。ところが8:30を過ぎてもなかなかIさんは現れません。1時間以上過ぎてからIさんはやってきます。前日に飲みすぎたそうで・・・。

 さて、日頃見慣れた呉服町通りを進み、前回の終了地点である「札の辻」、伊勢丹デパートを左に曲がります。そして七間町通りを西へ進み、映画館のところを右に曲がって新通りに出て左に曲がります。城下町特有の曲がった道筋です。なぜ城下町の道筋が曲がっているのか・・・・、敵に一気に攻め込まれないようにするためなんですね。そこから安倍川までほぼ真っ直ぐです。安倍川の橋を渡る前に「石部屋」という有名な安倍川餅の店があります。10:10頃に到着し、せっかくだから安倍川餅(450円)を食べて行きました。

 江戸時代は徒歩渡りだった安倍川橋を渡ります。手越の旧道を歩き、国道と交差していよいよ20番目の宿場である丸子へ入って行きます。旧道もしばらく道幅が広いのだけど、次第に細くなり古い家が連なる町並みとなりました。この町並みの外れに「丁子屋」という茶店があります。とろろ汁で有名です。昔のままの茅葺き屋根でいかにも江戸時代からのものだと思ってしまうけど、昭和46年、元の建物を取り壊して古民家を移築したものだそうです。ここで11:00ごろ。ここでもせっかくだから昼食も兼ねてとろろめしを食べました。むかご、とろろ、麦飯、味噌汁で1,350円でした。ビールも1本飲みました(勿論Iさんは二日酔いで飲めませんでした)が、とろろは結構お腹にたまり、やっとのことで空けました。この店も観光地化されていて、大型バスでの客がかなり来るようです。大広間での食事は少々がっかりしたものです。(ちなみに安藤広重の「鞠子」では茶店が描かれています)(その2へつづく)

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2008年2月10日 (日)

旧東海道徒歩紀行(19)

◎第10回 1996年12月21日(土) 興津~江尻~府中 その2

 清水銀座を通り過ぎると右に折れて巴川の橋に差し掛かります。この橋を「稚児橋」と言って、慶長16年(1611)に家康の命によって架けられた由緒ある橋です。欄干に河童の石像があります。ここからしばらく歩くと、久能道との追分。追分羊羹の店があり、Iさんはお土産に買っていました。東海道線の踏切を渡ると狐ヶ崎でつい最近までヤングランドという遊園地があった場所の横を通ります。一里山という場所で広い道に出ます。地名からして一里塚がありそうなものだけど、そのようなものはありませんでした。ここから草薙駅前までは旧道らしさは失われて、広い道路になります。

 草薙駅前から静岡県営草薙球場の手前まで再び静かな旧道となります。静岡鉄道の運動場前駅の近くは区画整理されてしまい、ほんの僅かではあるけど旧東海道をたどることはできません。残念です。JR東海道線の地下道に入る手前にそのことが書かれている立看板がありました。地下道を出ると古庄。国道1号線を渡ると長沼。ここに一里塚があったことを示す碑がありました。再び国道1号線を渡ってJR東海道線の下を通る柚木の地下道を通ります。この地下道をまっすぐ歩いて15分程度の場所に自宅があります。日本橋から10日間掛かって自宅へ戻ってきた感じです。だからこの辺りは私は詳しいのです。旧道は地下道を出るとすぐに右に折れて曲金という場所に来ました。我が母校の静岡市立西豊田小学校の裏を旧東海道は通っています。Iさんに校舎の説明をしたけど、そんなことは興味はないでしょうね。再びJRの下をくぐって国道を渡り、市民が「横田の通り」と呼んでいる道が旧道です。だんだんと街が賑やかになってきていよいよ19番目の宿場町で江戸の時代では大都市だった「府中」です。伝馬町や御幸町を通って呉服町名店街を歩きます。そして札の辻でこの日は終点。到着時刻は15:25でした。興津宿~府中宿はJRでは15.9km、所要時間は4時間25分でした。

001  今回のコースは距離が短く、起伏も少なくて到着が早すぎ、いつものbeerはやめて家路につきました。本当はこれが一番健康にはいいんでしょうね。(第11回につづく 写真は曲金にあった旧街道を示す標識。静岡県にはこのような標識が至るところにあります。2008.2.8撮影)

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2008年2月 7日 (木)

旧東海道徒歩紀行(18)

◎第10回 1996年12月21日(土) 興津~江尻~府中 その1

 今回は比較的楽なコースです。距離も短くこれと言った坂道もありません。興津駅前を11:00に出発しました。

 しばらくは国道を歩きます。この紀行において「国道」とは国道〇号線などを指すのは勿論、バイパスの開通などで現在は県道に格下げになった道路も国道としておきます。そのほうが道幅などを想像するのが容易でしょう。よってここで言う「旧道」は旧街道をそのまま活かした道路のことを指すことにしています。10分程度で「東海名区」の額を掲げた山門がある清見寺があります。五百羅漢などがあるけど、以前にも訪れたことがあり、見学はパスします。国道が線路を跨ぐ部分は少しの間だけ旧道になっていて、なかなか静かな住宅地になっています。再び国道を清水方面に向かい、辻町という場所で右手に入り旧道となります。ここからは昔ながらの商店街と言った感じです。JR清水駅前を通り過ぎると18番目の宿場町である江尻宿です。市名の清水市(現在は静岡市清水区)とは違う宿場名だけど現在のJR清水駅も昔は江尻駅と言ったそうです。でも今では清水の次郎長やサッカーなど、すっかり全国区の地名になっています。

 旧道を右に折れると清水銀座の商店街。その昔はとても人通りの多い商店街だったそうです。しかし今では買い物客は静岡に流出したりして閑散としています。商店も歯抜け状態です。七夕祭りの時はそれでも賑わうんだけどね。商店街の途中の「青柳」というソバ屋で昼食にします。この日は天丼(800円)を食べました。Iさんは鍋焼きうどんを食べていました。この清水銀座を通り過ぎると江尻城址があり、今では神社になっています。ここで10分ほど休憩し12:55に出発しました。(その2へつづく)

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2008年2月 5日 (火)

旧東海道徒歩紀行(17)

◎第9回 1996年11月23日(祝) 吉原~蒲原~由比~興津 その2

 蒲原宿を出て、JR東海道線と並行した国道を歩きます。この辺りは海岸と山々に囲まれた狭いスペースに国道やバイパス、高速道路、鉄道がそれぞれ通っています。今も昔も変わらずに交通の要衝です。この国道は結構長かったですね。途中のJR蒲原駅前にある「蒲原館」という食堂で昼食にしますrestaurant。今回はチャーハン(500円)を食べたけどこの手の食堂にしては珍しくアルコール類は置いていませんでした。

 13:10にこの食堂を出発し、再び歩き始めます。東名高速と交差すると国道から左手に入って旧道になります。この辺りから由比町です。由比と言うと現在では桜えびや枇杷、夏みかんなどが産物です。しばらく旧道を歩いて行くと由井正雪の生家が左手にあります。「正雪紺屋」の看板が掛かっていて、今は染物などの土産物を売っています。その向かいが本陣跡。その場所に安藤広重美術館がありなかなかの賑わいです。町おこしのため、本陣跡の整備と併せ美術館を建てたものです。何年か前は本陣の燈籠だけやたらに目立っていて、旧家が残ってい