トルコ旅行記

2008年2月19日 (火)

イスタンブール一人旅(最終回)

☆ 1996年12月7日(土) イスタンブール市内巡り その2

 しばらくハイダルパシャ駅で休んだ後、再びフェリーに乗って新市街のカラキョイへ戻りました。ここから地下鉄に乗ります。地下鉄と言っても一駅だけです。1875年に作られたというヨーロッパでは最も古い地下鉄の一つです。終点のチュネルまで所要時間はたったの3分。運賃は1.5万トルコリラ(20円)でした。この地下鉄は地下ケーブルカーと言った感じで上っていきます。世界最短の地下鉄です。

 チュネルから今度は新市街の市電。こちらもレトロ調で昔ながらのものです。チンチン電車の言葉がピッタリと当てはまる感じです。こちらは車両が小さく満員だったけど運よく座ることができました。新市街のお洒落な街をゆっくり走っていきます。ふと窓を見るとぶら下がっている子どももいたのでびっくりしました。おそらく無賃乗車でしょう。こちらも1.5万トルコリラでした。終点のタキシムは広場で線路は円形になっています。これで向きを変えられる仕組みになっています。

 このタキシム広場からドルマバフチェ宮殿まで歩いて行くことにします。坂道を下っていくとイスタンブールを代表するサッカー場であるイノニュ・スタジアムがあります。外観こそ古びているけど、坂の上から見える芝生はとてもきれいでさすがはヨーロッパのスタジアムです。しかし、この日は催し物は行われていなくて静かでした。

 なお、坂を下っていくと宮殿があります。しかし、15:00を過ぎていて入場はできませんでした。この宮殿は海のすぐ近くにあって、海上から眺めると美しそうです。トルコの初代大統領のアタルチュクが官邸に使用したとのことだけど、1938年11月10日の9:05に執務中に亡くなったそうです。

 今度はまた同じように引き返すけど、今度は市電の通りを歩きます。この通りはイスティクラール通りと言います。歩いているうちに警察官が大量に向かってきたので何だ、何だと思っているうちにデモ隊がやってきました。何のデモかは分からないけど規模は大きそうでした。

 チュネルを過ぎても歩き続けてガラタ塔へ向かいます。雰囲気は一転して変わり、ダウンタウンになりました。この塔に入るとエレベーターがあり、入場料20万トルコリラ(230円)を支払うとエレベーターボーイ(と言っても子供)二人がドアを開けて案内してくれました。最上階にはレストランなどがあるけど、外に出て夜景を楽しみます。雨が降ってきて多少見通しは悪いものの旧市街のライトアップされたジャミィが神秘的です。

 ガラタ橋を渡って旧市街に戻ります。ここで岸壁に船を横付けして船上で火を焚いてサバサンドを売る人たちがいました。話のタネに一つ食べてみました。10万トルコリラ(110円)でかなり大きなパンに焼いたサバやネギなどが挟んであってかなりお腹にたまります。これで夕食は十分なくらいです。しかし船が火事になることはないのでしょうか。

 夜のシルケジ駅に行ってみました。案の定夜行列車が出発を待っていました。行き先はブカレスト。編成は長く、双方の国の車両が連結されていました。その後旧市街の市内電車に乗りホテルへ戻り最後の1日が終わったのでした。

☆ 1996年12月8日(日) 帰国の途へ

 帰る日です。現地係員が迎えに来て空港に向かいます。免税店で買い物をしてアエロフロート504便は若干遅れて14:10に離陸しました。運悪く喫煙席でした。ロシア人のあまりにも手荷物の大きさに驚きます。きっとトルコで買い出しをして自国で商売をするのでしょう。座席は乗務員の前で着陸時に話しかけられます。美人だったので嬉しかったです。

 行きとは違い帰りのモスクワでは1時間程度の待ち時間で成田行きのアエロフロート584便に乗り継げます。急いで免税店でロシア土産を買います。こちらの免税店では米ドルしか使えませんでした。

 成田行きの座席は空席が目立ちゆったりと座ることができて良かったです。

☆ 1996年12月9日(月) 成田空港到着 

 無事に成田空港に到着しました。今回の旅行ではあまり鉄道には縁は無かったけど、エキゾチックなトルコを楽しむことができました。是非次に訪れる機会があればイスタンブールからアンカラまで鉄道で行ってみたいと思います。

◎ さいごに

 長々と「イスタンブール一人旅」を綴らせていただきました。随分前の旅行だけど、書いているうちに記憶が蘇ってきました。いずれこんな旅行をまたしてみたいなあと思っています。ここまで読んでくださった方には心より感謝申し上げます。コメント欄に感想などお寄せいただければ幸いです。(完)

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2008年2月15日 (金)

イスタンブール一人旅(15)

☆ 1996年12月7日(土) イスタンブール市内巡り その1

 フリー最後の日はイスタンブール市内を回ることにしました。まず最初は旧市街のスルタンアフメット地区にあるイエレバタン・サルヌジュ(地下宮殿)に行くこととします。市内電車でスルタンアフメットで下車すると、イスタンブールの初日にしつこく付きまとわれた場所であり、またまた「私は日本語の勉強をしています。」「私は怪しくないヨ」(充分怪しいけど)と付きまとわれます。これでイスタンブール滞在4日目だけどこういった連中が現れたのはここだけでした。

 地下宮殿は聖ソフィア大聖堂と市内電車道を挟んで反対側にありました。入場料は15万トルコリラ(170円)でした。この宮殿は4世紀から6世紀に造られたものだそうです。薄暗い空間にスポットライトが当たり、ポトン・ポトンと水滴が落ちます。この地下宮殿は貯水池になっているのです。奥にはメドゥサの顔が横たわっていて、怪しい雰囲気が漂っています。

 ここを出て再び市電に乗り、終点エミノニュまで行きました。ここからガラタ橋を渡ります。橋の向こうは新市街です。橋の袂から見る新市街の風景はなかなかのものです。ゆっくりと金角湾に架かるガラタ橋を歩いて渡ります。

 この橋を渡るとアジア側のイスタンブールへ渡ることができるカラキョイ桟橋があります。フェリー乗り場からアジア側の市側の入り口であるハイダルパシャまでのジェトンを買うと5万トルコリラ(60円)でした。ジェトンとは切符に代わるものでコインです。これを改札に入れると腕木が動かせる仕組み。なぜ切符にしないかと言うと、トルコリラはインフレせいで日々価値が下がっていて、その都度運賃が変わって切符を作り直す手間を省くためと思われます。フェリーは頻繁に出ていてすぐに乗ることができました。ここでもチャイ売りは相変わらずです。15分ほどでアジア側のユスキュダルという場所に到着します。しかしここでは下船せずに次のハイダルパシャまで行きます。ここはトルコ国鉄のアジア側の起点(終点)です。フェリーからハイダルパシャの駅が見えてきました。この駅はフェリー乗り場の横に位置していて乗り継ぎの便宜を図っているようです。駅は立派な建物です。ドイツ人の設計による、ネオ・ゴチック様式のことだそうです。ヨーロッパ側のシルケジ駅もそれなりの風格はあるけど、建物はこちらのほうがはるかに美しいものです。ホームにも長距離列車が停車していました。昼食をと駅のレストランに入ります。まずトルコの代表的なビールである「エフェス」を注文します。グラスに入ったビールは今回初めてだったのでとてもおいしく感じます。それからメニューの分かったスープ、チキン、ライスを頼み、ビールも一杯追加し、コーヒーまで付けて65万トルコリラ(740円)でした。味のほうは可もなく不可もなくと言ったところです。このレストランは地元の人が多いようで、昼間から「ラク」という強い酒を飲んでいる人が多かったです。この酒は水で割ると白く濁るので「ライオンのミルク」とも呼ばれているそうです。私も土産に買ったけど、あまり口に合いませんでした。色々な国の人が集まるこのような店にはアルコールも置いてあるようです。(その2へつづく)

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2008年2月13日 (水)

イスタンブール一人旅(14)

☆ 1996年12月6日(金) エディルネヘ その3

 トルコのギリシャ国境の街、エディルネで昼食をとって、オトガル(バスターミナル)までタクシーで戻ります。今度のタクシーはメーターも付いていて25万トルコリラ(290円)でした。ご丁寧にバスのチケット売り場まで案内してくれました。ここで「イスタンブール」と言うと紙の切れ端に「20:30」と窓口のヒゲオヤジが書いてくれました。まだ15:00過ぎです。そんなに待てるかと言う感じで他のバス会社を当たってみることにしました。他のバス会社はもっとひどくてこの時間にして23:00過ぎのバスしか空席がないと言っています。その他の窓口もダメでした。再び最初の窓口に行ってチケットを買うことにしました。窓口のヒゲオヤジは「それみたことか」と言いたげに20:30発のイスタンブール行きのチケットを発行してくれました。何とかホテルには夜中の0時ごろには着くでしょう。これから5時間以上待たなければなりません。このバス会社はエディルネヘ来た時と同じバス会社でした。この路線は1時間に2本程度あり、考えてみればこの日は金曜日で国境を越えてきた人や、このエディルネで働いていて週末に大都市であるイスタンブールへ帰省する人などで混雑していたんでしょう。

 チケットは手にしたから出発時刻までどこへ行っても良さそうだけど、ここからが勝負のしどころ。狭い待合室でじっと待つことにしました。次々に他の客はチケットに引き換えたりしてバスに乗っていきます。見ているとどのバスも満員です。何か空しいです。だんだんと暗くなってきて寒くなってきます。ヒゲオヤジがストーブを入れたのでその近くで暖をとります。そう言えば呼び込みも「イスタンブール」とは言っていません。他の地名を言っています。とにかくここでは自分の存在感をアピールするために待つしかありません。時々ヒゲオヤジを眺めるようにして・・・・。ひょっとしたらキャンセルなどがあって乗せてくれる期待をしていました。延々と待って18:00発のバスが出た後、例のヒゲオヤジが私に向かって手招きをしました。ついにチケットを18:15発のものに交換してくれたのです。毎時00分と30分の発時刻なのに15分の発だったので半端な時間だと思ったらバスは臨時のミニバスで席番の指定もなし。乗れれば何でも良くわがままは言えません。サンキューと感謝してバスに乗り込みました。人間我慢が肝心です。これで22:00ごろまでにはホテルへ帰ることができそうです。

 バスは一番後ろの5人がけの席の真ん中。横からの圧力が強くて窮屈で乗り心地はとても悪かったです。ミニバスなので次々と大型バスに抜かれていきます。このバスでも水などのサービスをしていたけど、数人にしか配りません。車掌の兄ちゃんは空になったペットボトルを窓から投げ捨てていました。それでもイスタンブールのオトガルに22:00頃には到着して地下鉄でアクサライまで戻って歩いてホテルまで戻りました。ハプニングに富んだ前日とこの日の長距離バス日帰りの旅はそれなりに楽しく、ある時は冷や汗をかいたものの、今となっては良い経験になったのではと思っています。(つづく)

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2008年2月11日 (月)

イスタンブール一人旅(13)

☆ 1996年12月6日(金) エディルネヘ その2

 さて、エディルネと言えば何と言っても「セリミェ・ジャミィ」が有名とのことです。1575年に完成したとのことで、トルコの偉大な建築家であるミマール・スィナンが設計したそうです。壮大で美しい姿で知られているそうです。行ってみると確かに壮大で、街のシンボルと言った感じです。周りを1周してみるとその大きさが良く分かります。

 例によって小雨の降る街をブラブラ歩きます。この街のメインストリートである、サラサチール大通り(と言っても田舎街の商店街だけど)を真っ直ぐ歩いていけば鉄道の駅がありそうだけど、5分ほど歩けば商店はおしまいで、装甲車などが走っていたりしていました。さすがに国境の街だけあって少し身が縮む感じがしてきたので引き返しました。やはりこの国では鉄道は用はなさそうです。

 このサラサチール大通りはジュムフリエット・メイダンから伸びていて、その辺りは人通りも多く賑やかです。さて、昼食をと思い切って小奇麗な食堂に入りました。私がトルコ語が全くダメだと分かると英語が分かる店員を引っ張り出してきてくれたけど、それでも良く分かりませんでした。今度はケバブが並んでいるウィンドーに私を連れて行ってくれました。これならば指を指すだけです。結局シシケバブとかドネルケバブとか適当に注文してテーブル席に座ります。飲み物も聞かれたのでビールではなくて(勿論この店にも置いてありません)アイランは既に2回も飲んでいるのでコーラにしておきました。それでも店員は何かを言っています。「ザラーダ、ザラーダ?」と言うので、何が出てくるのかは分からなかったけど、頷いておきました。すると出てきたものはサラダでした。そのサラダだけど、私の天敵であるトマトのサラダでした。なぜこの国はトマトがそんなにあるんだろう?しかしトマトばかりでもないのでこのサラダもそこそこ食べておきました。シシケバブとかドネルケバブは美味しくて、パンに包んで食べました。量が多くて若干残してしまったけど、これだけ食べて43万トルコリラ(490円)。十分過ぎるほどの食事であり、満足でした。(その3へつづく)

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2008年2月 9日 (土)

イスタンブール一人旅(12)

☆ 1996年12月6日(金) エディルネヘ その1

 前日のブルサヘ行った時と同じように地下鉄でオトガル(バスターミナル)へ向かいます。慣れたところで呼び込みのオヤジに「エディルネ」と言ったら、窓口へ連れて行ってくれました。なぜエディルネに行くことにしたかというと、バスで3時間程度で着く都市だということと、ヨーロッパ側の都市で1ヶ所どこかへ行ってみたかったのです。この都市はギリシャ国境まであと5km程であること、鉄道の駅もあるはずで、もしかしたら見ることができるかもしれないと思ったのも理由の1つです。

 運賃は30万トルコリラ(340円)とブルサヘ行くのと比べて約半分でした。今度は10:00発。バスは普通の大型バスでした。高原の中の高速道路を走ります。ブルサヘ行った時より景色は良く、時々遠方にマルマラ海も見えました。1時間程走ると線路が見えてきました。恐らくこの路線がギリシャ方面へ続いているもので、オリエント急行もここを通ったはずです。このバスも飲み物とクラッカーが振舞われて相変わらずのサービスです。3時間程かかって13:00過ぎにエディルネのオトガルに到着しました。

 エディルネのオトガルは街の中心地から離れた場所にあり、タクシーに乗って行く事になります。トルコに来てからの天候はずっと小雨です。今回乗ったタクシーはメーターが付いていないものでした。ボラれたらどうしようかとかそんなことは考えませんでした。こちらの物価に既に慣れてきていて、多少ボラれたところでタカが知れています。トルコのタクシーは黄色い車であちこちに停車しているので利用しやすいです。ただし車内はオンボロ。今回のタクシーはシートベルトが壊れていました。街の中心地である「ジュムフリエット・メイダン」と告げるとタクシーは走り出しました。10分もかからない程度でこの場所に着きます。さて、運賃はと言うと・・・・、32万トルコリラ(360円)でこの金額ならボラれた程でもないでしょう。(その2へつづく)

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2008年2月 4日 (月)

イスタンブール一人旅(11)

☆ 1996年12月5日(木) ブルサヘ その4

 ブルサからイスタンブールへ向かうバスは同じようにフェリーに積み込まれます。既に夜になって暗くなっています。夜の海の風景もなかなか良いものです。相変わらずチャイやジュースなど色々なものを売り歩く人がいます。今度は売店でベーコン入りのパンのトーストを買ってみました。その場でトーストしてくれるのでアツアツでなかなか美味しいのです。これが15万トルコリラ(170円)です。甲板などにいると時々「ジャパン?」などと声が掛かります。さすがにこんなところにいる他の日本人はいません。

 そのうちに上陸して一般の道路へ出て猛スピードで(日本の感覚からして)走り始めました。周りの景色は分からないので暇になってしまいます。隣はオッサンで、通路を挟んで男の子と母親がいます。その子は退屈したのかグズるので隣りのオッサンがあやしたりしています。私はここでメモ紙を正方形に切って、これで鶴を折ってみました。これがオッサンの目に留まり、男の子に渡してくれました。それまではそのオッサンは冷ややかな目で私を見ていた感じだったけど、これで一気に打ち解けた感じになりました。折鶴に関して言えば、男の子よりむしろ母親の方が関心があったようで「どうやって折ったんだろう?」と言った顔つきをして手にとって眺めていました。それから私は調子に乗ってもう一つ折ってオッサンに渡します。そうしたらオッサンは喜んで羽根の部分に「MADE IN JAPAN」と書き入れていました。オッサンはあれこれ話しかけてきて、「ホテルはどこだ?」とか聞いてきました。ガイドブックを広げて「ラーレリ」とか言っておきます。その後も話しかけてくるので何を言っているのかと思ったら、オトガルからラーレリまでこのバス会社の無料バスがあるのを教えてくれているようでした。現実にイスタンブールのオトガルに到着すると、そのオッサンがそのバスまで案内してくれました。たった一つの折鶴でこれだけのコミュニケーションが図れるとは思ってもいなかったのでとても感動しました。トルコ人は顔つきは怖そうだけど実際はとても優しいんですね。

 無料のこのバスはミニバスと言われているもので、一番後ろの座席に乗車しました。乗ったのはいいけど、本来下車するはずであったアクサライで降りそびれてしまって、いつの間にか橋を渡って新市街のほうへ行ってしまいました。下車する場所で運転手に声を掛けねばならず、結局アクサライでは誰も下車しなかったのでそのまま行ってしまったのです。新市街のタクシム広場が終点で結局そこで下車します。

 せっかくタクシム広場まで来たのだから、新市街の市内電車の終点でもあるしこちらの市電はレトロ調のものなので、それに乗ってホテルのある旧市街方面に向かおうと考えたけど、21時過ぎの時間では既に終電の後で仕方なくタクシーで戻りました。親切にオッサンが無料バスを教えてくれたのにタクシーで28万トルコリラ(320円)かかってしまいました。こちらの物価から考えてこの金額は高額なのは既にお分かりのことと思います。なにせ地下鉄で普通にホテルまで戻れば3万ドル(34円)なんだからね。

 ホテルの近くの店で缶ビールを買って(今度は支払は間違えなかったよ)、部屋でブルサ日帰り旅行を振り返りながら飲みました。この1日で自信がついてきたようです。明日はエディルネに行こう。(つづく)

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2008年2月 2日 (土)

イスタンブール一人旅(10)

☆ 1996年12月5日(木) ブルサヘ その3

 ブルサのオトガルはイスタンブールのような立体感はなくて地方都市のバスターミナルという表現がぴったりです。オトガルから真っ直ぐに伸びた広い道路を歩きます。ウル・ジャミィというブルサで最も大きなジャミィのそばにはバザールがあります。この中を通り抜けて行くわけだけど、イスタンブールのバザールのように広くはありません。そしてアタルチュク通りに出ました。この通りがブルサのメインストリートのような感じです。PTTという郵便局兼電話局があり、ここで100度数のテレカを買って自宅へ掛けてみるけど通じませんでした。やはり地方都市からだと通じにくいんでしょうね。このテレカが31万トルコリラ(350円)でした。

 既に14時過ぎでもあるし昼食をとらなければなりません。ブルサの街をこの辺りまでブラブラ歩いてきたのは、ブルサの有名料理である「イスカンダルケバブ」を食べることができる「イスカンダル」というレストランへ行くためです。ちょっとした細い道を入ると「イスカンダル」の看板が見えて迷わずに入ります。「イスカンダルケバブ」の小とアイランを注文します。少し昼食の時間からずれていたこともあり、店は空いていました。それほど待たされることもなく注文の品は出てきました。イスカンダルケバブを説明すると、トマトケチャップで味付けしたドネルケバブ(固めた羊の肉片を回しながら焼き、それを削ったもの)がピデ(平たく焼いたトルコ風のパン)の上にのっていて、これにヨーグルトをかけて食べるものです。噂どおりに美味しくて、ここまで来た甲斐があったというものです。このくらいの量だったら大でも良かったかもしれませんね。アイランはイスタンブールで飲んだものと変わりませんでした。これらで37万トルコリラ(420円)でした。若干のチップも支払っておきます。私にしては珍しくとても満足した食事でした。

 その後、ブルサの代表的な寺院である「イェシル・ジャミィ」、メフメット1世の霊廟などを訪れ、同じ道を引き返し、バザールの近くのとてつもなく大きなウル・ジャミィの中に入ってみました。こう言ったジャミィは無料で入ることができます。靴を脱いでしばらく歩き、外に出ます。相変わらず小雨が降っています。そしてオトガルまで戻ります。

 さて、イスタンブールまで戻るのですが、先ずはバスのチケットを買わなければなりません。イスタンブールと叫んでいるオジサンに、「イスタンブール?」と私が呟くと、すぐに窓口に連れて行ってくれて発券してくれました。来た時とは違うバス会社で運賃を支払うと60万トルコリラ(680円)で来たときより5万トルコリラ安かったのです。会社ごとに運賃が決められているんでしょう。出発は16:30です。

 シュミット(ゴマ付きのパン)をオトガルの露店で買ってバスの中で食べます。これはドーナツを大きくしたような形の固いパンで、1つあればかなりおなかにたまります。この国のあちこちで売っているので1度は食べてみたかったんです。これが2.5万トルコリラ(30円)です。バスは明らかに来た時と同じルートを戻っています。今度の車掌は兄さんで、私に向かって何か言っているようです。隣のオッサンが私の足元を指差します。雨で足元が濡れてしまったので靴を脱いでいたのを注意されたようです。なぜかは分からないけど、郷に入れば何とかで従っておきます。このバスのサービスはなかなかのもので、ビスケットが出され、ジュースやコーラなど飲み物も数種類ありました。そしてまたバスはフェリーに積み込まれます。(その4へつづく)

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2008年2月 1日 (金)

イスタンブール一人旅(9)

☆ 1996年12月5日(木) ブルサヘ その2

 イスタンブールのバスターミナル「オトガル」のチケットオフィスでブルサ行きのチケットを買って、オフィスの裏に行くとバスがずらりと並んでいます。チケットを見せるとオヤジがバスの中まで案内してくれました。バスは指定席です。前から2番目の席で「5番」でした。バスは9:10に出発し、迷路のようなターミナルを抜けてすぐに高速道路になりました。隣にはオジサンが座っていて、「どこから来た?」とか聞いてきたり、私の持っていたガイドブックの日本語を見て「分からない!」と言ったそぶりをしていました。

 バスは噂どおりにかなりのスピードでぶっ飛ばして、あっという間にヨーロッパとアジアを結ぶボスポラス海峡を渡ってアジアの入り口であるユスキュダルへ10:00頃到着しました。なかなか出発しないのでイライラするけど、10:30頃数人の客を乗せて出発します。数えてみると乗客は14人でした。とても空いています。しばらくすると「コロンヤ」という化粧水のようなものが手のひらに数滴落とされて、他の乗客と同じように手をこすりあわせたりしてみました。これは席を案内してくれたオヤジがやっていて、この人は車掌のような役割をしていることが分かります。この後紙コップに水も振舞われます。サービスもなかなかのものです。この車掌オヤジはバスの後部の非常口付近に座っていました。

 相変わらずバスは高速道路をぶっ飛ばすけど、片側1車線の道でも追い越しや追い越されることは当たり前。なかなかスリルがあります。沿道はなだらかな高原地帯と言った感じで単調な景色です。小雨が降っていることもあって、見通しもあまり良くありません。時々高速道路でない一般道路も走るけど、道端で手を振っている人がいると停車します。その都度車掌オヤジが非常口から乗せて運賃を徴収しています。座席に余裕がある時はフリー乗降も認めているようです。

 なぜか港に到着します。前方を見るとバスや一般の乗用車が列になっています。要するにここからフェリーに乗るんです。バスは乗客を乗せたままフェリーに積み込まれました。と同時にサンドイッチやジュース、チャイ、ドーナツが大きくなったような固いパンなどの売り子がやってきます。当然バスから降りてフェリーの客室にも行くことができます。売店もあってなかなかの賑わいです。この売り子などはフェリーで行ったり来たりして商売にしているようですね。Eskihisarという港を11:39に出て、Topcularという港に12:20に到着しました。天候がはっきりしないために景色が今ひとつパッとせず残念でした。この区間をフェリーで行くということは、陸地をそのまま行くより短距離で時間も短いんだと思います。

 港から再び道路を突っ走って、峠を過ぎると日本で言えば諏訪湖程度の湖の脇を通ります。やっと景色がガラリと変わった感じです。それからは再び丘陵地帯を走り、13:32にこの日の目的地であるブルサのオトガル(バスターミナル)に到着しました。(その3へつづく)

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2008年1月30日 (水)

イスタンブール一人旅(8)

☆ 1996年12月5日(木) ブルサヘ その1

 これから3日間、終日フリーとなります。いつもの海外旅行だったら鉄道に乗りまくるプランを立てるのであるけど、トルコ国鉄は主だった都市へ行くのにはとても不便で利用価値がありません。他にはどんな交通手段があるかと言うと、この国は長距離バス網がとても発達していて、主だった都市には殆ど行くことができます。本数も多く、時間もほぼ正確で運賃も安いとのことです。しかし、首都アンカラまでは457kmも離れていてバスでは7時間余り掛かってしまい、日帰りで行くのは不可能です。そこで首都に行くのは諦めてこの日はバスで4時間ほどのブルサという街を訪れることにしました。ブルサは人口約160万人のトルコ第6番目の都市です。

 イスタンブールの長距離バス乗り場(トルコでは「オトガル」と言う)は旧市街の地下鉄で数駅行った場所にあります。ホテルの最寄りの市電の停留所のラーレリから隣りの停留所のアクサライに地下鉄の起点があり、そこから乗車します。地下鉄はまだできたばかりのようで、駅などは真新しいものです。地下鉄も市電と同じく運賃は全線均一で3万トルコリラ(34円)。切符はテレカのようなカードを渡されて、自動改札で回収される仕組みになっています。カードは回収されて何回も使用するんでしょうね。

 地下のホームには電車が停車していました。この地下鉄の電車は市電と全く同じ車両で、こちらは4両編成です。市電と同じなので多少新鮮味に欠けると感じながら地下鉄に乗り込みます。発車して3駅ほどですぐに地上に出てしまいます。地上に出ても高速道路と並行していて景色も何もありません。15分ほどでオトガル駅に到着しました。エスカレーターを上って改札を出ると、駅の建物を取り囲むようにバスのチケットオフィスがあります。その数何と100以上。それぞれのバス会社の看板の派手さと広さに圧倒されながら一周してみました。このオトガルも新しく作られたもののようです。同じ場所に行くのにいくつかの会社が競合していて、予備知識のない私にはさっぱりどれに乗ってよいのか分かりません。呼び込みも激しくてだみ声のヒゲオヤジが地名を叫んで客を誘っています。

 ブルサヘ行きたい私は、結局どこから乗ってよいのか分からないので、チケットオフィスの前にいたオヤジに「ブルサ」と言ってみました。するとオヤジは頷いて、私の腕をつかまえてチケットオフィスに連れて行ってくれました。他の会社には絶対に渡さないぞといった感じでね。すぐにチケットを発行してくれて65万トルコリラ(740円)を支払いました。チケットはしっかりと表紙も付いている立派なもの。9:00の出発となっていました。(その2へつづく)

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2008年1月27日 (日)

イスタンブール一人旅(7)

☆ 1996年12月4日(水) イスタンブール市内観光 その2

 半日市内観光をして、そろそろ昼食をということで、ガイドお勧めの店へ行きました。小さな店の2階に行き、ガイドがケバブの盛り合わせを注文してくれました。飲み物はビールと言うわけにはいかず(一応イスラム教国なので基本的にはアルコールは置いていない)、アイランという酸味の強いヨーグルトを飲みました。いっぺんに飲めない分、食事には良く合っていて、慣れると美味しく感じるものです。ケバブとはグリル料理の総称です。パンなどに包んで食べるのです。さすがは世界3大料理のトルコ料理は美味しくて、4人で108万トルコリラ(1230円)でした。母娘と3人で割り勘をしたのであるけど、これではガイドはタダで食事をしたことになります。ガイドとしてどんなものなんでしょうか。バックマージンでももらっているんでしょうか。

 これで半日観光は終わりで、フリーの身となります。この時既に15時ごろです。取り敢えず旧市街の市内電車で昨日乗った方向の反対に行ってみました。ラーレリ、アクサライの中心地を過ぎると下町のような雰囲気になり、大きな市場もありました。終点の1つ手前の停留所は地下鉄の終点です。地下鉄と言ってもこの部分は地上です。市内電車の終点まで行って30分程度でした。これで旧市街の市内電車は昨日行ったシルケジから1駅先のエミノニュまでと、唯一の枝線であるラーレリ・アクサライの短い区間が未乗であるのみとなりました。

 終点から折り返してホテルのあるラーレリへ。店でワイン(35万トルコリラ・400円)、ビールのロング缶2本(15万トルコリラ・170円)を買い込みました。イスラム教国と言っても公共のレストランとかにはアルコール類は置いていないだけで、商店などでは売っているんですね。ありがたい(?)ことです。さらに屋台でサンドウィッチ(5万トルコリラ・60円)を買ってホテルへ戻ります。サンドウィッチはコッペパンにネギや私の天敵であるトマトなどを挟んであるけど、なかなか美味しかったですね。これらをテレビで平日の19時から放送の「キャンディ・キャンディ」を見ながら食べて夕食としました。ちょっと味気ないけどね。ホテルの部屋で1人だからね。そして次の日からのフリーに備えて早めに就寝したのでした。(つづく)

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2008年1月23日 (水)

イスタンブール一人旅(6)

☆ 1996年12月4日(水) イスタンブール市内観光 その1

 この日は半日の市内観光の日です。朝起床してバイキング形式の朝食をとってロビーへ行くと既に現地ガイドが待っていました。このガイドは「ハカン」という名の若い男性でした。早速ミニバスに乗せられて出発します。他のホテルで例の母娘を乗せて、まずは古代競馬場跡へ。ここはビサンティン帝国時代の競馬場の跡で、当時は10万人収容の観客席があったというけど、ここはむしろオベリスクの方が有名で、特に「蛇の柱」はギリシャのデルフィのアポロン神殿から運ばれてきたブロンズのものだそうです。これらのことをガイドから説明していただきます。ただ風が強く、小雨が相変わらず降り続いているので説明する方も聞くほうも大変です。次にトルコ・イスラム博物館に連れて行かれます。ここはかつてのイブラヒム・パシャ宮殿を利用した博物館で、絨毯などが展示してありました。

 次はスルタン・アフメット・ジャミィに入ります。「ジャミィ」とは、モスクのことで、イスラム寺院です。そこに入るまでに雨が降っていたこともあり、傘を売る少年やガイドブックを売る人などやたらにまとわり付いてきました。観光地特有の現象ですね。ジャミィは靴を脱いで入場します。とても中は広く、トルコ最大とのことです。アフメット1世の命により1616年に完成したそうです。壁や柱にはイズミックタイルという空色のタイルが使われていて、別名「ブルーモスク」とも言われています。ドーム屋根も高くて東京ドームとどちらが高いかなと思わず考えたくなってしまいます。このジャミィは世界で唯一6本のミナレット(尖塔)があることでも知られています。

 お次はソフィア大聖堂。この大聖堂は、もともとはギリシャ正教会の大本山であったのが、1453年にスルタン・メフメットⅡ世がコンスタンチノーブルを征服した際イスラム教のジャミィに改修してしまったのです。当然イスラム教は偶像崇拝を禁じていて、それまでに壁に描かれていた聖母マリアなどのモザイク画は漆喰で塗り固められてしまいます。現在はその漆喰が所々剥がされて博物館として開放されています。歴史的な価値はなかなかのものでした。

 ここまでは歩いて回ったのだけど、またミニバスに乗せられて、すぐ近くだったけど有名なグランド・バザールに行きました。金製品から骨董品・革製品などの店が迷路のように続いています。特に金製品の店が多く眩しいばかりです。私には全く価値は判らないので見るだけにとどめておきます。さほど呼び込みも激しくないので歩きやすかったです。このバザールはガイドがいたから良かったものの、一人で行けばきっと迷子になってしまうでしょう。

 ほどほどに歩いた後、チャイハネ(喫茶店)に入って4人でチャイを飲みます。チャイとは紅茶のことで、こちらでは最もポピュラーな飲み物です。チャイハネではわけのわからぬゲームをしているオッサンなどとてものんびりしていて、客の回転は悪そうです。ここでは4人で20万トルコリラ(230円)であり、これもまた安かったです。そして昼食を食べるためにガイドお勧めの店に行くことになったのでした。(その2へつづく)

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2008年1月19日 (土)

イスタンブール一人旅(5)

☆ 1996年12月3日(火) イスタンブール市内へ その2

 イスタンブールのヨーロッパ側の終着駅であるシルケジ駅から市内電車通りに沿って市内の観察を兼ねてホテルまで歩いて帰ることにしました。小雨が降っていたけど傘を差すまでもありません。ボチボチと歩いて行きます。聖ソフィア大聖堂の近くを通りかかると、後ろから「Oh my friend」の声が聞こえてきました。これはヤバイと思っていたら来た来た、「日本人ですか?」と若いトルコ人から質問。「日本の話を聞きたい」とか「日本人の友達いるよ」とか「勉強しまっせ引越しのサカイ」とか「バザールでござーる」など本当に日本語が上手です。当然無視していたんだけどとてもこれがしつこいんです。きっとどこかへ連れて行って悪さをするつもりなんだろうけど、そんな手に私は引っかかりません。こんな連中に引っかかる日本人なんているんでしょうかねえ。

 ようやく振り切ってホテルのあるラーレリまで戻りホテルへ向かったはずが、なぜか迷ってしまって同じ場所をグルグル回ってしまいます。いくら歩いてもホテルは出てこなくて困ってしまいます。とにかく似たような建物が多いんです。迷いに迷って足はクタクタ、ズボンは泥が跳ねて汚れてしまいました。1時間以上彷徨い続けると突然レストラン街が出てきて店のオヤジに追いかけられてしまいます。もう既に辺りは暗くなってきており、潮の香りがしてきて海岸通りまで来てしまいました。トルコ国鉄の線路まで見えてきました。さすがに線路が見えてくると私は強いんだけど、こんなことはここでは自慢にならず、全く逆方向に歩いているのがようやく分かり、諦めてタクシーに乗ったのでした。ホテルカードを見せてタクシーは走り始めたけど、道が混んでいたこともあって15分程度掛かってしまいます。しかし車で15分も走ればどれだけ見当違いをしていたのか分かると思います。全くお恥ずかしい限りですね。こんなことでトルコのタクシーに初めて乗ったわけだけど、タクシーはメーターもしっかり付いていて18万トルコリラ(約210円)といずれにしても安かったです。

 ようやくホテルにたどり着いて、ホテルの前の店でビールを買いました。店番をしていた子供に値段を聞くと、「ワンハンドレッド何とかかんとか」と言ったので150万トルコリラ(1710円)を出しました。お釣りは1万トルコリラでビールのロング缶2本で149万トルコリラ(1700円)はやけに高いなと感じました。ホテルへ帰って考えてみると、既に私の頭の中には千の位のトルコリラはなくて一万の位以上しか存在を考えていませんでした。しかし、実際は千の位のトルコリラも存在していて、千の位を一の位に置き換えると「ワンハンドレッド」は10万トルコリラになるのです。子供は恐らく14万トルコリラ(130円)を請求したんだけど、私がその10倍もの紙幣を出してしまったからびっくりしてしまって、それでも私が15万トルコリラを出したとして1万トルコリラのお釣りを出したんでしょう。子供の店番賃としてこれは諦めよう。こんなことを悔やんでも仕方ありません。これから気をつければいいんだからね・・・・・・。

 ホテルで高いビールを飲みながらテレビを見ていたらサッカーを放映していました。ヨーロッパ選手権か何かで、イスタンブールのチームとスペインのバレンシアとの試合でした。シャワーを浴びて、散々なイスタンブールの初日は終わったのでした。(つづく)

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2008年1月16日 (水)

イスタンブール一人旅(4)

☆ 1996年12月3日(火) イスタンブール市内へ その1

 イスタンブールの天気は小雨。入国審査は何も聞かれることはなくパスポートに判を押されました。到着ロビーで現地観光会社の係員と会い、持って来た米ドルを現地通貨であるトルコリラへ両替します。300ドルが何と29,824,957トルコリラ(以下TLと表記します)となり、とてつもなく大きな単位になりました。急にお金持ちになったような気分でしたね。

 早速ミニバスに乗せられてイスタンブール市内に向かいます。やはりモスクワのホテルで一緒だった母娘と同じで私を含めて3人でした。空港は旧市街の郊外にあり、イスタンブールの中心地までは1時間ほど掛かります。路面電車が見えてきて、市内の渋滞に掛かってくると間もなくその母娘は私とは違うホテルで下車していきました。私はそれから10分ほど乗った場所のホテルでした。イスタンブール市内は大きく3つに分かれていて、私の泊まるホテルのある旧市街、お洒落な店などが多い新市街、この2つの市街地はヨーロッパだけど、あと、アジア側のイスタンブール市街があります。

 まずはダブルのシングルユースの部屋で一休み。そして早く街に慣れようといそいそと出かけます。まだ15時過ぎです。早速ホテル近くの停留所から市内電車に乗ってみることとしました。やっぱり鉄道に乗りたいからね。ホテルまで連れて行ってもらう間に、現地係員に電車の乗り方については聞いておいたので戸惑うことはありませんでした。運賃は全線均一で30,000TL(約34円)で信じられない安さです。ホテル近くの停留所名はラーレリと言って旧市街の一番賑やかな場所です。切符は道端のボックスで買うことになっています。一律30,000TLなので言葉は特に必要なく買うことができました。道の中央にしっかりしたホームがあり、端の入り口の細長い貯金箱のような筒に切符を入れてホームに入ります。これだけならタダ乗りができてしまいそうだけど、しっかりと監視の係員がいてそうはいきません。2両編成の電車は新しく、なかなかの混みようでした。市民の足となっているんですね。とりあえず終点1つ手前のシルケジまで乗車しました。

 シルケジはトルコ国鉄(TCDD)のイスタンブール・シルケジ駅があってこの駅はヨーロッパ終着駅としても名高い駅です。何と言ってもパリ発イスタンブール行きのオリエント急行にも登場するくらいなのだから・・・・・。しかし、建物こそ多少風格があるものの構内はガランとしていて静かでした。近郊電車が20分間隔程度で細々と発着しています。本当は乗りたくて仕方なかったんだけど、切符は改札口で買うようで、こちらは当然ながら行き先によって運賃が違うので、言葉の不安と取り立てて行くような場所もないので駅の観察にとどめておきました。終着駅なのでホームは行き止まりです。改札口はあっても、それは近郊電車のみでホームには自由に立ち入ることができます。オリエント急行をあしらったレストランや待合室、インフォメーションなど通り一遍の施設はさすがに揃っています。この時間帯は国際列車など長距離列車の発着はないようでした。(つづく)

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2008年1月12日 (土)

イスタンブール一人旅(3)

☆ 1996年12月3日(火) イスタンブールへ

 モスクワのトランジットホテルである「ソユーズ」では、何もすることもなく前日21時ごろには寝たために、朝の3時ごろに目が覚めてしまいました。窓から外を眺めるとモスクワの街は灯りが少なく感じました。その後はあまり眠ることはできず、6:45にモーニングコールがあり、7時頃にホテルのフロントのロビーへ。ホテルのおじさんからパンと菓子とジュースとヨーグルトなどが入った袋を渡されます。菓子は小さなものがたくさん入っていて、小学生の遠足のようです。それを持ってバスに乗り込みます。2人組の男性は前日エレベーターの入り口の柵を乗り越えてバーに行ってビールを飲んだそうです。自分もそうしてしまえば良かったと思いました。ホテルから出ることはダメでもホテル内ぐらいは自由にさせて欲しいものです。そうすれば少しばかりの外貨が落ちるのにね。

 モスクワ・シェレメチェボ第2空港は早朝のせいもあり閑散としていました。「ソユーズ」に泊まった我々以外は空港近くの「ノボテル」に泊まったそうでこちらはもっとひどくて外の景色も何も全く見ることはできなかったそうでした。9:45の離陸まで随分時間があるけど、まだ土産を買うのも早すぎるのでホテルで貰ったパンなどを食べて時間を過ごします。この一時だけいろいろな日本人格安旅行者と話すことができて楽しかったです。

 9:00過ぎにイスタンブール行きのアエロフロート503便の搭乗が始まりました。座席は前の方で広々したシートで日本で言うスーパーシートのようです。特に座席のクラス分けはしていないようで、エコノミーでこの座席はラッキーです。

 今度の飛行機はツポレフ154型機という旧ソ連製のものでした。何と言っても座席のテーブルが木製なのが気に入りました。まずはドリンクサービス。東京からの便はミニボトルでイマイチ美味しくなかったけど、今回のものはフルボトルのものをグラスに注いでくれて、こちらは美味しかったです。そして食事になります。パックに入った軽食です。後はウトウトしているうちにほぼ定刻の正午ころ(モスクワとの時差は-1時間)にイスタンブール・アタルチュク国際空港に着陸しました。(つづく)

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2008年1月 6日 (日)

イスタンブール一人旅(2)

☆ 1996年12月2日(月) その2 モスクワのホテル

 モスクワ・シェレメチェボ第2空港へ降り立って、イマイチ照明が暗い到着ロビーに出て、それからトランジットカウンターに向かいます。この日はトランジットホテルに宿泊する予定になっています。トランジットホテルに宿泊するのは始めての経験で、一体どんな手続きをしたら良いかもわかりません。取り敢えずこのカウンターに行くしか方法はありません。行ってみると同じような旅行者が10名程度いる様子でした。そのカウンターでトランジットカードを渡されて指定された場所で待たされます。それからパスポートチェックをして、空港の裏口のような場所から出されてバスに乗せられました。

 モスクワの地を踏むのは初めてです。バスに乗ったのは私を含めて5人でした。2人は母娘で私と同じイスタンブールへ行くと言います。他の男性2人はモロッコのカサブランカへ。この時期、18時過ぎのモスクワは既に暗く、景色も良く分からないけど雪は積もっていなくて思ったより寒くはありませんでした。バスはどうやら郊外を走っているようです。途中でトロリーバスの架線も見えました。15分ほど走ってホテルに到着します。このホテルの名は「ソユーズ」で旧ソ連の産物のような名前です。

 フロントで手続きをして部屋のキーを渡されます。ずしりと重いこのキーはロケットの形をしています。そう言えばソ連のロケットって「ソユーズ」でしたよね。部屋に入るとツインのシングルユースでした。部屋は7階。1階へ行って飲み物等を買いたいと思い再びエレベーターに乗ります。すると1階の出口には柵がしてあり出られません。仕方ないので7階に戻ります。部屋には冷蔵庫があるけど開けると中は空っぽです。ということは、朝まで何も飲めないということです。それでも風呂へ入ろうと蛇口をひねると茶色い水が・・・・。テレビだけは辛うじて見ることができたけど面白くも何ともないので寝ることにします。私がトランジットホテルの仕組みを知らなかっただけだけど、これでは拉致監禁されたような感じです。結局ロシアには入国していなく、乗り継ぎだけなのでモスクワのホテルに宿泊してモスクワには行っていない、機内に預けた荷物もスルーでイスタンブールに行ってしまうから取り出せない、そういうことなんですね。だからホテルに入ってしまえば外に出られないのは当然なんですね。

 そう言ったことを日本の旅行会社も説明して欲しいものですね。そうすればそれなりの準備もできただろうにね。ま、安いツアーだから仕方ないか。(つづく)

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2008年1月 4日 (金)

イスタンブール一人旅(1)

 私は10数年前の東海道を歩いたり、北海道旅行のことをブログに書いてきました。実は海外にも独身時代にはあちこち行っています。少しでも過去の元気だった時のことをブログに書くことによって自分を取り戻したいなあという趣旨で、これも1996年に旅行した「トルコ・イスタンブール」のことをこれからボチボチ書いていきます。ある小さな鉄道趣味のサークルに投稿した時のものを少々アレンジして書いています。また長旅になりますが、一緒に旅に行った気分で読んでくださいね。

(はじめに)

 1996年もあと僅かになりました。その年はまだ海外へ行っていなかったので、どこかへ行かねばと考えていたらふと頭の中を庄野真代の「とんでイスタンブール」のメロディーが流れてきて(ちょっと古いですね)、エイビーロードをめくっていたらイスタンブール8日間、アエロフロート機利用で103,000円のツアーを見つけました。それですかさず予約。日程は12月2日から9日までです。またこれから日ごとに旅行記を綴っていきますね。

☆ 1996年12月2日(月) その1 モスクワ到着まで

 今回の出発便は成田空港13:00発のアエロフロート(以下SUと記します)582便モスクワ経由のロンドン行きです。よって空港集合時間は11:00。

 東京駅からエアポート成田で空港第2ビルへ向かいます。列車内で日本人女性と外国人男性が人目を憚らずにキスをしていたけど、そんなことは私は関係ありません。その日本人は涙を流しながら錦糸町で下車していきました。

 空港に到着してチェックイン。身軽になって展望デッキで時間を潰します。既に出発便は到着しているようで、これならば大丈夫でしょう。早めに出国手続きをしてサテライトで景気付けにビールを一杯飲みます。12:30過ぎに搭乗手続きが始まります。私は一番乗りで2-4-2の座席の配列で私は通路側でした。隣の席はイギリス人、後ろの席は若い女性の1人旅のようです。後で聞いたのだけど、この女性は私と同じくモスクワで一泊した後、モロッコのカサブランカへ向かうそうです。何ともたくましいものだ・・・。隣のイギリス人らしき乗客は、どうもどこかで見たような気がすると思ったら、空港までの電車の中で日本人女性とアツアツだった、あの人のようです。私は英語の語学力は全くないので、モスクワまで言葉を交わすことはありませんでした。

 SU582便はほぼ定刻に動き出しました。乗務員は全てロシア人で日本人はいないようです。機内の案内はロシア語、英語、日本語で放送しているけどロシア人の男性乗務員がたどたどしい日本語を話すので滑稽です。最初のうちは理解できるのだけど、次第に何を言っているのか分からなくなってしまうのです。しかし多くの日本人旅行者のために努力をしているのは認めてあげよう。ロシアも変わってきているのですね。

 水平飛行になってトイレに行ってみました。座席は9割以上は埋まっています。やはり日本人が多いですね。なかでもバックパッカーが多そうでした。SUは格安航空券の中でも群を抜いて安いからでしょうね。ロシア人も当然ながら目立ちます。席へ戻るとドリンクサービス。私はビールをチョイス。ロシア製のものが出てくると思っていたらイギリス製のものでした。そして機内食。何とメニューもあり2種類から選択が可能でした。「牛の照り焼きステーキ・フライドポテト・キャロット」または「おひょうのフライ、トマトソース・ブロッコリー・キャロットライス」があり、私は前者を選択します。その時ワインをもらおうと思ったけど、「終わった」とのことでした。ドリンクサービスの時のみアルコールが無料のようです。

 後は映画を見たり音楽を聴いたりして過ごします。やっぱり退屈ですね。免税品の販売も行われています。着陸2時間ほど前に「スモークサーモン、ロシア風サラダ、スパイラルソーセージ」などの軽食が出ます。いかにもお国柄を反映したメニューだったけど、これがなかなか美味しかったです。そしてモスクワ時間(日本との時差は-6時間)の17:35頃、予定より25分ほどの遅れでモスクワ・シェレメチェボ第2空港へ無事着陸しました。(その2へつづく)

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